また、なんともしかたのない事件が起きた。房総半島沖のイージス艦・漁船衝突事故だ。関係機関は事故を徹底的に調べるべきだろう。漁船を沈没に追い込んだことは償う必要がある。だが、あえて書かなくてならない。事故を政治闘争の具に「反自衛隊」「反戦」勢力が気勢をあげるのには、なんともいかがわしさが漂う。
「イージス艦は出ていけ」と声高に叫ぶのは言論の自由だが、そこには責任も伴わなくてはいけない。果たして事故に遭った漁船・所属漁労は責任を果たしていたのか…。現場は自衛隊の船が徘徊する日本の領海である。日本の兵隊と言えば南京で30万人を虐殺したことで知られる。相手が民間人でもホイホイ殺しちまうような危ないやつなんだぜとも言われている。
所属漁労は
「自衛隊のいる海より、オーストラリア近くの南極海でクジラでも獲ってたほうが安全だよ」
と教えなかったのか。この基本的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、という以外にない。「日本兵に近づくと集団自決させられる」「あぶない人についていってはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。
「自衛隊は違憲、もしくはグレー」と信じて疑わない体質と共通する情緒的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。日本の安全保障には米国様からイージス艦をばんばん買うことが基本であることは言うまでもない。しつけという本来果たすべき責任を忘れ、イージス艦叩きに終始することがないよう冷静な議論が望まれる。
(文・産経新聞客員編集委員 花岡信昭)