家泳三郎氏 |
<轢死研究家・家泳三郎氏寄稿> 2日、都内で「新しい轢死教科書をつくる会」主催のシンポジウムが開催された。筆者も末席にて拝聴する機会を得ることができた。冒頭では例によって西尾幹二氏による基調講演が行われたのだが、その中で衝撃的な事実が明らかにされた。つくる会主要メンバーである下関マグロ氏の脱退である。
つくる会内部では、かねてから主力イデオローグであるマグロ氏と西尾氏とのはげしい確執があった。轢死の美学を純粋に追究する下関マグロ氏。そして轢死=ブシドー精神のあらわれと位置づけ、日本ナショナリズム昂揚に結びつけようとする西尾氏。両者のわずかな接点によって奇跡的に結成されたのが「新しい轢死教科書をつくる会」であった。筆者も「正しい轢死のあり方を次世代に伝えたい」という思いから、これまで各メディアを介してつくる会の思想を大衆に伝道してきたのである。
しかし、会において「轢死=マグロ」そして「マグロ=轢死」と言っても過言ではないほど、マグロ氏の存在は大きかった。彼が結成時に語った「轢死するなら中央線に限る」はけだし名言である。対する西尾氏は轢死に関してはまったくの素人。「大江戸線もいいよね」などと言ってひんしゅくをかったことさえある。ホームドア採用ミニ地下鉄の大江戸線で何が轢死か。寝言は轢かれてから言ってもらいたい。
マグロ氏脱退で精神的支柱を失ったつくる会に必要なのは、理論武装強化しかない。しかし、シンポジウムではそのような危機感をもった発言は皆無であった。しかもパネリストの櫻井よし子氏は分会として「新しい溺死教科書をつくる会」の結成を検討しているとまで語っていた。轢死と溺死を同一ベクトルで語る女史は、もはや轢死を冒涜しているとしか言いようがない。
日本において、正しい轢死を伝える道がまたひとつ閉ざされようとしている。筆者はつくる会の今回の錯誤を大いに憂うのである。