西暦1600年の「天下分け目の合戦」として知られ学校でも教えられている「関ヶ原の合戦」が、実は起きていなかった?! そんな指摘が、このところ各方面で相次いでいる。在野の研究者や作家、ネットのブロガーらで熱心な
「関ヶ原なかった」派
を形成して研究を進めており、注目を集めつつある。左翼の偏向思想に毒された歴史教育へ一石を投じるきっかけとなりそうだ。
「関ヶ原なかった」派が論拠とするのは、まず第一に「あった」派の著した関ヶ原関連資料(「まんが猿飛佐助」など)が、のきなみ西軍総大将が石田三成であるかのように描かれていること。実際には当時の三成は奉行職を解かれるなど冷遇されており、とても忍者軍団を指揮する余裕などなかった。こうした誤りを含む「あった」派の主張には信頼がおけないというのだ。
第二に、10万近い軍勢が集ったはずの関ヶ原が新幹線停車駅でないこと。合戦は昔から交通の要衝で起こるのが相場であり、戦場ならアクセスの便がよいのが自然だ。作家の曾野綾子さんは実際に東京発大垣行き夜行「ムーンライトながら」で関ヶ原を訪れて手記をまとめており、同書の中で
「こんな交通不便な場所に武士が何万も集まれるはずがない。関ヶ原はなかった」
と断定している。また、インターネットでは有力なブロガーも論争に参戦。
「問題になるような“合戦”があったと主張するなら、それが現在でもよくある“けんか”や“チーム同士の抗争”とどれほど違うのか。その“差分”を30秒でわかるようにまとめるべきだ」
と述べ、「合戦があったとしても子どもの殴り合い程度だった」との見方を強めている。
ねつ造された関ヶ原の歴史。こうしたプロパガンダは、いったい何者の陰謀によるものなのか。「なかった」派は、
「“新春かくし芸大会”があやしい」
と見る。「東軍優位に番組を進めるため“西軍は負け組”というイメージを植え付けたいのだろう。マチャアキのテーブルクロス技も磁石を使っているという噂だし、許せない」と、前出の曾野さんは怒りをあらわにする。今後はさらなる真相究明が待たれることになりそうだ。